あのキャンパス、街路灯の下、「直角!」「直角!」と囃したてる紐帯があった。街路がアスファルトで舗装され、机と椅子が教室に固定されてから、ながいながい歳月が経った。誰もが理由をなくした。当局にしてからが、銀杏並木に石を敷きつめはじめた。誰も彼もが理由をなくしたわけではなかった。立看師たちは憶えていた。「直角! われわれは明日のジョーでない!」「直角! われわれは敷石放である」立看師たちの不倶戴天の敵たちも憶えていた。民青は違法に入手したページメーカーで違法に入手した極太明朝をあしらったビラをまいた(技術力不足でクォーク・エクスプレスをクラックできなかった)。公安は銀塩カメラでキャンパスじゅうの立て看を表も裏も右も左も上も下も撮影してまわった(デジタルカメラを買う予算がなかったのだ)。アテンション・プリーズ。このフィクションは小説です。あらゆる物語はロマンスなので、登場する団体名、会社名、及び個人名と現実のそれらとは一切関係がないなどと誰に断ずる権利があるでしょう。立て看はベニヤと垂木で構成され、二寸と八分で打ちつける。しばしば、立看師は二寸を手裏剣として、八分を撒菱として扱う。一般に立て看はAの形状を持つ。彼らが作る立て看はLの形状だった。むべなるかな、立看師とは直角を紐帯とする集団であった。ゴダールの交通事故のように、彼は彼女に出くわしてしまった。九〇〇番講堂ではなかった。記号論の授業だった。いやいや、比較文学の授業だった。どこでもない教室で、どれでもない授業で、切れ長の真直ぐな眼を持ち、敗戦後の家庭の中で育てられてきたという雰囲気をブラウスの襟のあたりに漂わせている感じの女性に出くわしてしまった。「立て看を。けっして倒れることのない、すべての権力と重力にあらがって直立する立て看を」彼女は二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢なのかどうか、その時分の彼には判らなかった。彼は重石を調達した。ちょうどそのころ、キャンパスでは銀杏並木の工事が進められていた。しばらくして、自治会は重石をポリタンクでなければならないと定めた。公安はかわらず銀塩カメラを使いつづけた。ながいながい歳月が経った。就職が決まらなかった彼は髪を切らなかったし、もう若くないさといいわけもしなかった。「立て看を」と告げた彼女は二十歳の原点にあった。しかし、彼女が行ったところまでは見えなかった。