「旧帝大にはさ、うちすてられた建築物がいろいろあるんだ。きもだめしとしゃれこまないか」彼は彼女を誘った。
「屋上はあるかしら」彼女は訊いた。
「もちろんさ」
「屋上だけじゃだめ。屋上には少女が必要」
彼女が少女でなかったと、誰にも言わせるまい。
八十九が六十八をひっくりかえしたものだとプラスチック人間たちが気づいてから、まだ十年は経っていない。ジュリアナはすでにない。ソ連は遠きにありて思ふもの。そして悲しくうたふもの。
彼女はくずれかけた機関誌の山をねんいりに蹴った。野放図に増築され、役人の不作為で生きのび、時代に置きざりにされた小部屋は、学内拠点だった時分の生活と学習の痕跡を残していた。館内図に記されたことのない部屋が、館内図もろとも消滅するには、もう幾許の歳月が必要だ。
なにしろ二十世紀だったものだから。
彼女はコンバースを履いていた。ニューバランスだったかもしれないし、スケッチャーズだったかもしれないが、彼女が黒いワンピースをまとっていたことはまちがいない。
「なぜ」彼は訊いた。
「短い理由と短い理由があるわ」
「短い理由のほうから」
「よごれたら困るから」
「短い理由のほうは」
「きみが望んだから」彼女はほほえんで、おおきなくしゃみをひとつ。「かびくさい」
「フリーズドライされているから」
「なにが」
「連帯かな、孤立かな」
「きもだめしってさそわれたわよね」
「放棄されたアジトだ。求めたものや恐れなかったものが残されているかもしれない」
「屋上にいきましょう。空気がよくないもの」
彼はうなずき、外階段に視線をやった。外階段から梯子がのびていた。
「おさきにどうぞ」
「やれやれ」彼女はちいさく息を吐いた。
梯子をのぼる彼女の白い太腿とその奥の黒い布切れに彼の眼はひきよせられた。
「いやあね」彼女は言った。「なにがたのしいのかしら、まったく」
「短い理由なんだ」梯子をのぼりながら、彼は応える。
「理由はいつでも短くなければならない」
アジトに潜入し、先をいく女のコのおしりにうっかり遭遇してしまう。サブカルチャーがくりかえした幻想に耽溺することを彼は彼に許したのか。普段はパンツ姿の彼女に、頼みこんだのはほかならぬ彼だった。
なにしろ二十世紀だったものだから。
屋上は草原とどれほどのちがいも見あたらなかった。
このあと滅茶苦茶反革命した。